シン・エヴァンゲリオン劇場版:||
シン・エヴァンゲリオン劇場版:||を観てきたため、以前記事に書いたように、感想を書いていく。
観終わって一番最初に感じたことをはっきりと書くと、
「キレーに終わらせに来たなあ。」だ。
庵野先生の何年にも及ぶ戦いにようやく終止符が打たれたのか。庵野先生、長きに渡る戦いお疲れ様でした。と言いたくなるような心持ちで映画は終わった。
私がエヴェンゲリオンを好きになった理由は、混沌とした精神世界を絵で、映像で、表現しきっているところだった。
だからこそ、そのカオス感なく、綺麗にフィニッシュを迎えた今回の作品は、何だか寂しさを覚えてしまった。しかし、そんな寂しさを感じさせるということは、本当の最終回なのである。
また、以前の記事で「新作映画を観たら、新エヴェンゲリオンシリーズについても書いていきたい。」と述べたが、そもそも同じ世界で何度もやり直されている設定が今回で明らかになった。まさにリピート(:||)。
何度もやり直しされていると思うと、あれだけ綺麗に終われたのは奇跡だ。
シンジくんはじめ、すべてのエヴェンゲリオンたち、ありがとう。
またエヴェンゲリオンを作ってくれた全ての方々、ありがとう。
私は、この作品に出会ってどれほど救われたのかわからない。
私は、ただただこの感動を忘れないように備忘録を書くことで必死だ。
またどこかで会いたい。
私も大人へと成長した頃に。
『花束みたいな恋をした』
この前、坂元裕二脚本の映画『花束みたいな恋をした』を観てきた。
私の好きな作品を調べてみると、坂元裕二脚本のものが多い。
『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』、『東京ラブストーリー』、『カルテット』...
去年の11月頃からYouTubeのおすすめ動画として、『花束みたいな恋をした』の予告映像を目にしていた。
その時から、絶対に劇場で観ようと決めていた。
私は、この作品をいたく気に入ったが、その大きな理由は、そこらへんの普通のカップルの話だからだと思う。
少女漫画によくあるような稀な設定ではなく、
新宿駅や下北沢で既にすれ違ったことのあるような、そこらへんのカップルの話なのだ。
普通のカップルの話を深く掘り下げているから、感情移入ができるし、自分の身に起こる話として身近に、そして真剣に話に入り込んでいけるのだ。
そして、もう一つの好きな理由は、エンディングがスッキリしている点だ。
このカップルは別れを選択するが、その別れは二人にとって「前進」になっていて、前向きに描かれている。
別れをこれほどスッキリと描いた作品は少ないのではないだろうか。
多くの恋愛映画や漫画では、出会いはピンク色、別れは灰色のイメージで描かれている。
しかし、この作品では、別れは清涼感のある明るい青色なのだ。
そして、現実でも別れは清涼感のある明るい青色だと思う。
皆、別れたくて別れるのだ。
自分の望みを叶えたくて別れている。
ポジティブなはずだ。
それを改めて思い知らされた作品であった。
『花束みたいな恋をした』でのカップルは、5年間付き合った挙句、別れる。
これが話の大筋であるが、もっともっと細かく描写されていて、妙にリアリティが所々にある。
例えば、一緒にパンケーキを食べているが、実はエッチをした後なんだよなと自分一人でなんだかニヤニヤしてしまったり、二人が別れた後の方が仲が良かったり。
そういった細かな描写も、惹かれる理由の一つだった。
宝塚歌劇団宙組公演『アナスタシア』
昨日、初めて宝塚歌劇団公演を観劇してきました。
私が観たのは、宙組公演のの『アナスタシア』です。
まず、一番感じた感想を率直に書くと、
「予想の3倍はキャストの全員上手かった!!!!」です。
今まで、ブロードウェイのミュージカル、ロンドンのミュージカルと海外のミュージカル公演をいくつか見てきました。
正直、それぞれ一人ほどは歌がちょっと残念だな、と感じるキャストさんがいました。
しかし、宝塚は全くそんなことありませんでした!
主役の方々はもちろん、主役じゃなくてもソロの歌唱パートのあるキャストさんみんな上手で、存在感がありました。
他に感じたのは、それぞれの心情の掘り方です。
ただあらすじを描くのではなく、同じ出来事であっても、多くの登場人物からそれぞれの見方が描かれていて、
物語を書くとは、多くの視点からさらに物事を深く考察することなんだ、と改めて感じました。
背がすらりと高く、肩幅は広い、声がかっこいい。
それだけで、うっとりしてしまうものですね。笑
また面白そうな舞台があったら是非宝塚へ見にいきたいです。
久しぶりに紙の雑誌を読んで
久しぶりの投稿となってしまいました。
なぜなら、「この気持ちを文字におこしたい!!!」と感じる機会に恵まれなかったからです。
でも、今日は文字にしたい思いがいっぱい。
一つ一つ書いていきます。
今日は、歯医者の帰りに、
今までは通り過ぎていた如何にも「下町の本屋さん」という感じの小さな本屋に寄った。
そこで、何冊かレジカウンターへ持っていったが、その中にananがあった。
正直、雑誌のサブスクリプションサービスに加入しているので、わざわざ紙のananを購入する必要はない。しかし、Sixtonesの松村北斗くんの写真を紙面でじっくり見たい!と思い、680円というバカにならないお金がきちんと自分の価値へと変化するのか、不安も感じながらレジカウンターで会計を済ませた。
家に帰り、
自身の欲望通りに、北斗くんのあごや背中の汗(水をスプレーでかけた?)、顔から胸上にかけてのほくろ一つ一つをじっくりと見ていて思い出したことがある。
私は、小学校高学年から中学生にかけて、POTATO(ジャニーズ誌)をよく読んでいた。
その時の感覚を思い出したのだ。
まず、体から手を伸ばして写真全体の雰囲気を感じる。
そのあと、手を体に近づけ、一枚一枚、満足のいくまでじっくり見つめる。
そして見つめる中で、「あっ。顔のほくろは薄めなのに、首のほくろは立体的なものなんだ」なんていう具体的な発見から、いつもテレビを通して感じる彼の雰囲気とは全く違う写真を見て、何が違うのか考えることをしていた。
「小学生〜中学生の時にPOTATOを読んでいた」という既成事実は覚えていたが、当時の具体的な読み方や考えていたことは、同じ動作をしてようやく思い出すものなんだな、なんて感じた。
さて、お目当の松村北斗くん。
彼は写真を撮られるのがとっても上手ですね。
北斗くんがその撮影現場で、そして写真を通して人へ伝えたいものがよく伝わってきます。
いつか生でそれを感じられたら嬉しいなと思います。
北斗くんの写真の他にも、
「愛しいきもち。」というテーマに沿った掘り下げ方や特集の組み方、様々な役者さんへの「愛しい」考えのインタビューはとても読み応えがありましたし、面白かったです。
中でも、門脇麦ちゃんの「撮影現場まるごと愛さないと、愛情は生まれない」という言葉が胸に響きました。
4月から私も会社で働き始めますが、まずは会社という組織、そして周りの先輩・取引先の方々を愛そうと思いました。
そうでないと、良い結果(もの)は生まれませんし、自身のパワーも最大化されません。
自分が愛してなければ、愛して!!認めて!!なんて思うのは傲慢ですね。
勉強になります。
雑誌を紙で読むと、写真を遠くからでも近くからでも時間をかけてじっくり感じることができますし、文字も一つ一つ丁寧に読めるので、お金を払う価値は十分ありますね。
何より、こんなに心の充実と学びが得られている!
今後も、気になる号は紙媒体でじっくりと読んでいきたいです。
後書き
今月号のananには、HiHi Jetsの高橋くんインタビュー記事が掲載されていました。
以前、彼らの目標シートを作成するYouTube動画を見た際にも思ったのですが、
彼らは将来嵐ほどの国民的アイドルになるのではないかと思います。
というのも、きちんと自分たちの仕事に対する考えや周囲への感謝をメディアを通して伝えており、彼らの紡ぐ言葉から人間性を感じるからです。
彼らの仕事に対する考えを聞くと、彼らはアイドルに人生をかけて本気で「成功」しにきている決意が伺えますし、それを仲間内で決めるだけでなく、きちんと外に向けて発信できる点は非常に大きいと思います。
国民的アイドルになるには物理的な時間も多くかかるとは思いますが、彼らのできた人間性で是非達成して欲しいなと思います。
応援しています。
旧劇場版エヴァンゲリオン
実は私、今年就職活動をしていました。
そして、結果は散々で、なかなかいい結果が出なかったんですよね。
第一志望の総合商社は全部不合格でしたし、
最終面接まで行っていた鉄鋼会社も結局商社志望であることがバレて落ちましたし。
ちょこちょこ専門商社も受けていましたが、「まぁ総合商社に行くし」という感じで、いま振り返ると、かなり手を抜いた対策しかしていませんでした。
6月の第二週目に、全部の駒を一度無くしたんですよね。
絶望です。
正直、自分の学歴に驕っていて、「どこか一個は通るだろ」という軽い気持ちから起きたのだと思います。
さて、話を少し戻すと、
この大きな絶望を感じて、「もう何もしたくない」という気持ちになった時、
私はNetflixでふとエヴァンゲリオンを見つけ、見てみました。
普段、アニメはあまり見ないのですが、
古いのに今でもこれほど名が知れているには、何かしら理由があるのだろうと感じたからです。
見始めてみると、話のテンポの良さ、どんどん話が分かっていく構成、エヴァと搭乗員の体が一体化している衝撃の設定などに引き込まれ、無心で一気に見てしまいました。
観る前は、正直ただの戦いモノだと思っていました。
しかし、話の軸は戦いではなく、世界観や精神世界であり、
特に精神世界を抽象的にアニメで描いていることに衝撃を受け、ぐっと惹かれました。
中でも、最終回で、1秒ごとに人物が細切れに出てくるシーンは本当に大きな衝撃を受けました。
「何が起きているんだ…?」と感じたのが本音ですが、でもこの感じ方が正解なのだと思います。
抽象的なものって割と好きなんですよね。
わからないからこそ、そのことについて考えてしまうし、ぐっと惹かれる。
絵なんかも好きです。
描いてみたいとは思うのですが、中学の美術で苦手と感じてしまってからなかなか手が出せずにいます。
今度、フラッと描いてみようかな。
話が飛んでしまいましたが、
何回もカラオケで聞きましたが、改めて歌詞に注目して聞くと、ストーリーとリンクしていて感動しました。
登場人物がそれぞれ絶望を感じながらも、使命感のために戦っていく。
そして、お互いに感じる妙な親近感。
そもそもなぜエヴァに自分は乗っているのか、乗せられているのか、なぜ使徒はいるのか、ネルフ本部にくるのか。
こんな普段どこかで感じていても、めんどくさいので蓋をして、見て見ぬふりをする自分の存在意義について、たっぷりと考えさせてくれます。
もうすぐ、新劇場版の最終話が映画で公開ですね。
最終話を見たら、新劇場版についても書こうと思います。
OneST
Sixtonesのみんなお疲れ様、無理はしないでね。いつもありがとう。が今回の感想です。
実は、横アリ公演外れてしまったので、中止になって配信見れてラッキー、なんて気持ちで見ていました。
でも、いざライブが始まるとなんだかピンとこないコンサートだったんですよね。
言ってしまっては悪いけど、よそ行きっぽいというか、
いい言い方をすると、音楽番組みたいだなぁなんて。
あと、途中北斗くんや樹くん、ジェシーが疲れているように見えて、
酸素足りてる?水持っていこうか?と心配も感じてしまいました。
でも、そのモヤモヤは最後に晴れました。
最後、ファンクラブ会員限定で『この星のHIKARI』を披露してくれたんです。
『この星のHIKARI』を披露するみんなは、いつも通りのSixtonesのみんなでなんだか安心しましたし、すごく癒されました。
これこれ、これが私の好きなSixtonesだよ!っていう気持ち。
みんな自由に好きなことしつつも、ファンを喜ばせたいという思いが見えるような表情、パフォーマンス、動き。
考えてみると、公式にコンサート中止が発表されたのは一週間ほど前。
メンバーの中には、まだ無観客でコンサートを迎えたことに納得いってなかったり、気持ちが整理できていない人もいるんだろうなと思いました。
それに対する動揺から、いつもの彼ららしさがなんだか抜けてしまったコンサートになってしまったのかなと思います。
でも、最後にはそれを取り戻してくれて、
いつも通り自由でカッコよくて可愛いSixtonesが見れてとっても嬉しかったです。
自分の気持ちが冷めることがない限り、応援していこうと思いました。
良くも悪くもとても素直でまっすぐな人たちなんだろうなぁ。
改めて、公演お疲れ様でした。
無理せずに、残り4公演頑張ってください。
応援しています!
土曜日の午後。 『有村架純の撮休』
今日は、午前10時に起床した。
母が用事により、昼過ぎに家を出て行った後、
カップラーメンを食べ、ソファーで寝っ転がりながらNetflixやYouTubeでくだらない動画を見ているうちに頭が痛くなってきた。
この流れは、毎週土曜日にやっている気がする。
今日は、『有村架純の撮休』を見た。
1話で「日曜日の午後って感じだね。」というセリフがあった。
私にとって、
ごろごろしながらくだらない動画を見て頭痛がするのは、「土曜日って感じ」なのだ。
そのうち、スターバックスが飲みたくなったが、犬の子守りをしなければならないという謎の使命感を言い訳に、手数料のかかるウーバーイーツで頼んだ。
なんだがタバコが吸いたくなって、ベランダで夜景を見ながら吸った。
まだ5時だというのに、すっかり夜景が広がっている。
タバコの先とともにじわじわくる手先の寒さを頭の片隅で感じながら、
ぼんやりと夜景を見てタバコを吸うのは頭に隙を与えてくれる。
その隙とは、「タバコはやっぱ冬だなぁ、いや、夏のタバコもいいよな。」「なんだか大人になった、いやなってしまったような気がする」などどうでもいいことをぼんやりと考えることだ。
やらなければいけないことを放棄して、週に二日だけぼんやりと過ごすのは
心に余白を作ってくれるが、同時に頭痛も引き起こす。
人生こんなもんなんだろう、と思いながら今私は執筆している。
犬が鳴き出してしまった。構ってあげないと。
ではまた。